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海の中に沈む

海塚の企画・メモ・キャラ用ブログ

「せかい」

現代文の課題

 

 

 大きな建物の中にある、小さな町。上はドーム状になっていて空なんか見えないのだけれど、その空間の中で満足に生活できるからなのか、進んで外へ出る者はあまりいない。けれど僕は、本物の空を見たい。空が好きだから。

「あー、寒い」

 照明が暗くなり始めた夕方。ランタンを片手に、あてがわれた部屋を出る。灯り始めた明かりの中、階下に目をやるとカフェが見えた。どの人もドーム全体が暗くなる前に部屋まで戻るため、人がはけてきている。帰りは遅くなるだろうし、軽く食べられるもの、そう、サンドウィッチでも買って行くべきだろうか。

 ……トマトが入ってないメニュー、あったっけ。店が閉まらないうちに行かないと。

 先程のカフェで手に入れたブリート――トルティーヤという生地で具を巻いたものだ。トマト抜きのサンドウィッチは案の定売っていなかった――を口にしながら出口を目指す。そして、広い広いドームの外へ。扉を開く前にゴミを捨てて一歩踏み出せば、すぐに扉の閉まる音がした。

 視界が広くなる。外だ。水の匂いと、流れる音が満ち溢れた外。ああ、なんて素晴らしいのだろう! けれど目的地はここじゃない。周囲を見渡せばボートが目に留まった。ええと、ボート、ボート……ボートじゃなくてなんて言うんだっけ、永細い形状の、オールで漕いでいく、ああ思い出した、ゴンドラだ。

 とっくにコツは掴んでいるから問題ない。ゴンドラに乗り込み、ちゃんとランタンをに火を灯してから、オールを使って徐々に岸から離れてゆく。ここは水路が縦横無尽に張り巡らされていて、地面を探すのは至難の業。こうしてゴンドラを漕ぐほうが何倍も楽なのだ。初めの頃は操舵に慣れず、よくぶつかったっけ。

 ドームに人が密集しているためか、外の人口はとても少ない。ここのも人は住んでいるのだろうが、少なくとも僕は見たことはない。静かで、神秘的で、それから少しだけ不気味だ。パッと見の外観だけならたしか、「せかい」という有名な物語に出てくるヴェネツィアによく似ている。

 その実にシンプルな題の物語は異世界シリーズもので、むかしむかしの人が考え、実在する物の名称にも同じものが高頻度で使われているらしい。さすがにそれを信じてはいないものの、僕もファンのひとりだったりする。閑話休題

 水路を使って辿り着いた建物に、ゴンドラを寄せ、流されないよう繋ぎ止める。ドームの周辺より増えた建物の中、特に高い建物を見上げる。僕の町ではこんなに大きな建物を見ることなんて、とてもできない。いや、ある意味なによりも大きな「町」という建物なのだが、あれは言うなればドールハウスのようなものだ。外の世界の建物は、明かりがなくともこんなに輝いて見える。

 さあさあ、もうすぐだ。もうすぐ何よりも綺麗な景色を、空を目にできる。はやる気持ちを抑えて扉に手をかけ、ランタンで屋内を照らし、一直線に、目指した階段をただ上る。

 まだか、まだか。早く見たい。一刻でも早く。今日は流星群という、星の降る特別な夜なんだ! 期待に胸が膨らんで、どうしようもなく我慢ができなくなって、気がついた時には走り出していた。最上階へ辿り着く頃には息が上がって汗だくだろうなあなんて、どこかで思っていたのも初めだけ。片手のランタンが騒がしいが知るものか。着ていた上着もまとめて手に持ち、空を見たいという一心で、駆ける。息も絶え絶えに喘ぎながら、唾を飲み込みながら最後の段を蹴って、駆けて。思い切り扉を開け放って目にした空は。

 息をのむほど、美しかった。

 胸がいっぱいになると同時にふと、数瞬の間忘れていた疲労感に見舞われる。ランタンの灯りを消して、目の前に広がる一面の星を堪能しようとその場に横たわる。

 空気を壊したくなくて息を潜めるように眺めていると、冷たいものが頬に触れた。まさか雨か? それは困る。いくら上着があるとはいえ、冬にずぶ濡れは勘弁だ。慌てて周囲の様子を窺うと、どうやら雪のようだったので、上着を羽織る。

 見下ろせばぽつぽつと灯る橙色の灯りが、見上げれば夜空に瞬く一面の星空が、今この場には粉雪が。雪が降ってきているこの状況で流星群を見ることができるのだろうか。そんなことを思ったけれど、まあいい。もうしばらくはこの景色を楽しもうじゃないか。