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海の中に沈む

海塚の企画・メモ・キャラ用ブログ

9/3 フリーワンライ

フリーワンライ

アロマ

忘れられた声

真夜中の訪問者

 

 

 毎晩夜になると現れる亡霊は、ぼくに幸せな寝物語を聞かせてくれた。

 

「おやすみなさい」

「はーい、おやすみ」

 両親に挨拶をして、その返事をあとに部屋へ向かう。リビングを出て扉を閉じると、しんとした薄暗い廊下が一層静かに感じられた。

 怖い。

 それを無視して自分の部屋を目指す。とん、とん。駆けあがりたいけれど、それも怖い。階段がやけに長い。こんなに長かったっけ。

 心もとない、橙色の明かりを頼りになんとか階段を昇りきると、一直線に部屋へ歩いた。ドアノブに手をかけて開いて、恐る恐る覗き込む。

 ――ああ、よかった。

 窓が開いてもいないのに揺れるカーテンと、その隣に佇む人物に、ぼくは心底ほっとした。下ろした長い長い黒い髪の間から覗く彼女の青い瞳は、この世界で何よりも好きだった。

 アロマのような甘い香りが、こちらまで漂ってくる。

「こんばんは、がんばったわね」

 えらいえらい。促されるままベッドに横になる。彼女が触れてくることはないけれど、そのぶん声は温かくて優しくて、ほっとした。

「今日は何をきかせてくれるの?」

 いつからかは覚えていない毎晩の日課。昨日ひとつの物語が終わったから、今日から新しい話が始まるのだと。

「きょうはねえ……」

 彼女の声は落ち着いているけれど、いつもぼくより少し年下の子供みたいな話し方だった。それでもゆっくりと、毎晩面白い話を聞かせてくれる彼女のことが、ぼくは好きだった。

 そう、好きだったのだ。誰よりも。

「きょうはね」

 耳を澄ます。

「おわかれを、いいにきたの。ここにはずうっといたから、じかんなの」

 一瞬意味が分からなかった。何が? 待って、急すぎる。だって昨日までずっと。

「ごめんねえ」

「……ううん」

 あんまり悲しそうに言うものだから、良い子になるしかできなかった。もしかするときっと、最近の「もうすぐおしまいねえ」は、昨日の「これでおしまい」は、このことも含めてだったのだ。

 ゆらゆらと炎みたいにゆらめく青い目をじっと見ながら、彼女を真似て声を出す。

 きっとこの言葉は忘れられてしまうけれど。

 ぼくもいつか、忘れてしまうけれど。それでも。

「あなたのことがずっと好きだったんだ」

 彼女は笑って一言告げると、呆気なく消えてしまった。

 その日を境に幽霊は出なくなった。正確には、幽霊は見えるけれど、彼女がここへ来ることはなくなったのだ。どこを探しても彼女はいない。

 次の日から、ぼくはひとりで眠るようになった。