海の中に沈む

海塚の企画・メモ・キャラ用ブログ

近未来的天竺鼠

近未来っぽい話の習作。

 

 SFの舞台といえば宇宙である。少なくとも彼はそう思っている。電子パネルを操作し母船へ通信を図っていたが、悲しいかな、彼の乗る船はあてもなく宇宙空間を漂うのみだ。母船からの応答どころか、同様に周囲を探索していた他の船からの応答もない。おおよそ先ほど小惑星帯を通過したときに衝突でもしたのだろう。可哀想に。

 正直な話。いままでの距離を思えばここから地球までなど手の届く距離と言っても過言ではない。地球を目の前にして、帰る手段がないのだ。宇宙探査に乗り出したはいいものの事故で母船とはぐれ、連絡もつかず、燃料も食料も残り僅か。なんとか太陽系付近までこぎつけたが、母船の姿も救援の姿も見えない。もしかすると調査船は自分たちの出た船が最後だったのかもしれない。とすると、とんでもない判断ミスだ。しかし彼は慌てるどころか妙に落ち着いており、客観的に事態を見ていた。端的に言えば危機感がないのだ、彼には。

「ダメだな、こりゃ」

 燃料タンクの表示がミスではないかの確認、食料の確保、酸素供給量の確認、破損部の確認。飛行中に行った作業を挙げ連ねればきりがなく、どれもこれもが絶望的だった。食料はいくらか残っているが、なにより重要な酸素がもってあと数時間。生きて帰ることは不可能だ。生きて帰れたとしても五体満足とはいかないに決まっている。緊急用の仮死状態を保つコフィンは生きているため可能性がまったくの零というわけではないのだが、それでもこの小さな機体では電力の限界などすぐに訪れる。故に「まあ、いいか」と。彼は自らの生存を、躊躇なく放棄した。

 彼はこの状況をどこか夢のように捉えていた。昔の陳腐な物語にありきたりの展開、それから自意識の薄さ。第三者の視点から物語を見ているような、そんな感覚が彼には絶えずまとわりついていた。思えば幼い頃から空想科学小説や漫画ばかりを読むために、タブレットに触れてばかりいた。宇宙を舞台にした物語が特に好きで、それまでもそれからも、目まぐるしく発達する世界を横目に平々凡々な生活を送りながら空想科学の世界に没頭していただけ。そんなある日、ニュースを見たのだ。

「最新型宇宙調査船の乗組員募集」

 彼の空想科学の世界が現実になった瞬間だった。その頃には仕事を手に入れていた。家族もいた。けれど、夢には勝てない。持っているものを投げ捨てて面接へ行った。これに受かればきっと、この世に未練などなにもないとでもいうような勢いで。そうして、彼はこの世界へ訪れた。

 ゆっくりと、真綿で締められるように息が苦しくなり始める。夢にまで見ていた世界だ、後悔はない。すべてを投げ打ってまで踏み入れた世界だ、未練もない。だから、死んでしまっても本望だ。だというのに。いよいよ死が迫ったこのとき、何も彼もが恐ろしくなった。いまからでもコフィンへ行くべきだと、そうすれば苦しむこともなく眠ったまま息を引き取ることができると、考える。しかし同時に無駄なことをするなとも思う。母船がこちらまで来て回収されることは望めないのだから、無駄なあがきだ。

 そもそも現実とは無情なもので、コフィン入ったからと言って眠るように息を引き取れる保証などどこにもないのだ。むしろ苦しみながら死ぬ可能性の方が高い。怖いのはなにも苦しむことだけではなく、死そのものも含めても恐ろしいなのだ。神の存在も信じていなければ奇跡の存在も信じておらず、どちらにせよ死ぬことに変わりない。死は避けられない。けれど、死ぬのはこわい。死にたくない。生きていたい——体感時間にして十数分。彼は、眠ることにした。

 ああ、こんなことなら安楽死用の薬でももらっておくんだった。

 

 甲高い機械的な音で意識が浮上する。霞がかかったようにはっきりとしない頭でのろのろと上体を起こす。広々とした、ドーム状の白い空間。天井は高く、その壁にはうっすらと大きな網目のようなものが見えた。自室ではない。付近を見回すと使用中ランプの点灯した複数のカプセルが目に入った。三分の一ほどは空のまま開いて放置されており、視線を下げると自身もそのうちのひとりであるらしいことがうかがえた。この間にも断続的な音は繰り返されている。アラームのつもりか何かだったのだろうか、一定数繰り返されると、スピーカーから男とも女ともつかない声が響いた。

「目が覚めたらしいな、おはよう。気分はどうだい?」

「……はあ。おはようございます」

 いまいち状況を飲み込めないせいで曖昧な答えを返す。届いているかはわからない。「気分がいいなら良いのだけれど」などと言っているあたり、恐らく返答は聞こえていないのだろう。カプセルから抜け出して、床の冷たさに驚いた。スピーカーの声はそのまま聞き流しながら、ぺたぺたと歩き回る。服装などからしてはたから見れば病人患者のそれだが顔色も足取りも健康そのものだ。他の乗組員はまだ目覚めないのだろうか。それともひとりひとり、順に目覚めるのだろうか。床同様に冷えたカプセルの表面に手をつく。今のうちに顔を見ることができればと思ったのだが、中は曇っていてよく見ることは叶わなかった。

 それにしても、どうしてこんなところにいるのだろうと首を傾げる。明日がいよいよ宇宙飛行の当日だったはずだ。だから早くに就寝を促されて……それで、そうだ、早朝に起こされたのだ。健康や身体の最終検査のために。ということはつまり宇宙飛行は明日ではなく今日。そろそろ結果が出るはずだ。これに万が一でも引っかかってしまえば、ここまで来た夢が潰えてしまう。早く結果を聞きに行かなければ。うかうかしてはいられない。聞き流していたスピーカーに耳を傾けて歩を進めた。

 

 残された大量のカプセルの中で眠っているのが、すべて“自分自身”だということには気が付かないまま。