海の中に沈む

海塚の企画・メモ・キャラ用ブログ

6/18 フリーワンライ

お題:鏡の中の/嘘つきの本音‬
‪ #深夜の真剣文字書き60分一本勝負‬

 

 とぷり。音を立てて鏡の中へと入り込む。夢の中であるとはいえ、こんな芸当ができるようになったのはいつからだったか。水の膜を抜けるような感覚と鏡の持つ独特の香り。それらを確認しておもむろに目を開けば、左右の反転した世界が広がっていた。
 色はどこか褪せていて物足りないが仕方ない。振り返って目に入るのはいつもの自室にある姿鏡で、来るときも帰るときもここを通る。ただし通ることができるのはここが鏡の中、夢の中であると自覚している間だけなので気をつけなければならない。
 鏡から目を離す。自室を出て玄関で靴を履いて、行かなければならない場所があるのだ。
 初めての頃はよく迷子になった、知っているのに見慣れない街を通り抜ける。人はいない。生き物の気配も何もない。しんと静まり返った、褪せた世界。そんな世界を歩くのは少し怖くて、けれど向かう先は色鮮やかであることを私は知っている。
 しばらくして見えてきた目的の場所、ある一軒家の前で立ち止まる。鍵の閉まっていない扉を引き「お邪魔しまーす」と小声で入り込んでもやはり返事はない。見回せば靴も置き物もきっちり置いてあって、今更ながら夢のくせによく再現できていると思った。そうっと靴を脱いで、長い通路の突き当たりにある階段を登ってゆく。先にあるのはふたつの部屋。迷わず片方の部屋へ足を踏み入れた。もう片方は彼女の兄の部屋だそうだ。
 ここには、この部屋にだけ、人がいる。
 低いベッドの傍に座り名前を呼びかけるついでにゆっくりと揺り起こすことを試みると、数秒後には目を覚ましてくれた。眠たげな彼女に少しだけ悪いことをした気分になってしまう。が、ここからの時間が一番の楽しみなのだ。
「……」
「おはよ」
「……おはよう?」
 うとうとした様子でこちらを見る彼女は今にも眠りに落ちてしまいそうだった。起き上がることはせずに毛布から顔を覗かせている。
「ミキちゃん、またきたの?」
「ちょっと時間ができちゃったからさぁ」
「そっか……」
 うれしい、と呟かれた声は拾わずに置いておく。舌が回らないのか拙い口調で小さく言葉をかけてくる彼女は、普段はとんでもない嘘つきなのだ。嘘つきというよりは素直じゃないが正しいのだけれど、それはさておき。彼女はとにかく本音を言わない。そんな彼女が素直になり、いつもの数倍は穏やかに言葉を渡してくる。この、現実とは少し違う穏やかな時間を過ごすのはとても心地よく、何よりの楽しみだった。
 これが、彼女にばれるまでは。
「現実の方じゃあんなにつんつんしてるのに」
 何の気なしに零してしまったのだ。夢だからだったのかもしれなければ、気が緩みすぎていたのかもしれない。なんにせよそれを拾ってしまった彼女は訝しげな顔をして考え込み——
「でっ、出て行け!」
 微睡んでいたのはどこへやら、私はそこから追い出されてしまった。

 何がいけなかったのか。夢から醒めて、私はずっと考え込んでいた。連絡を取りたいがあれは夢であり、常に見れるわけでもなく、現実の彼女に言ってもおかしな奴だと思われてしまうだろう。というか私を捏造するなと怒られてしまいそうだ。あの夢を楽しみにしていただけあって、いよいよ困ってしまう。
 気分転換に淹れようとした紅茶は切れていた。
 紅茶のついでに不足している物をと近所のスーパーで買い出しを行っていると、見慣れた後ろ姿が目に入った。……彼女だ。なぜよりにもよって今日このスーパーにいて紅茶のコーナーにいるのか。タイミングの悪さに頭を抱えたくなる。離れるのを待つか、紅茶を諦めるか。迷ってしまう。
 正直なところ、嘘ばかり言う彼女は少しだけ苦手なのだ。精神的に余裕のあるときならまだしも、楽しみがひとつなくなってしまった今は気力がない。
 と、誰かに手を掴まれる。目を上げると彼女がいた。……見つかっていたのか。咄嗟に愛想笑いを浮かべてなにか話題を探そうと口を開き、遮られた。
「昨晩のは忘れろ、いいな」
「……うん?」
 絶対だからな。そう念押ししてレジへ向かう彼女をそのまま見送ってしまう。何だ、今の。昨晩と言われても昨晩は何もなかったはずだ。普通に帰宅して、そのまま夕食にして。……ああ、なるほど。もしかして、そういうことだったりするのだろうか。
 ようやく合点がいって笑ってしまった。現実だって、案外可愛いところもあるじゃないか。
 今日はいい紅茶を飲めそうだ。